最近

 

某日

 

娘と奥さんとは別室で寝ているのだが、早起きした娘がバブバブと言いながら(本当にバブバブ言う)、こちらの寝室までよたよたと歩いてくる。起き抜けにその声と姿を確認する。目が合うとキャッキャと言い、リビングへUターンして戻っていく。

そして毎朝ベビーカーに乗せて保育園まで連れていく。出かけるのは好きなのでベビーカーに乗った瞬間は喜ぶが、保育園まで向かう内に「あ、これは連れていかれるぞ」と感じ一丁前に憂鬱そうな顔もする。保育園に着き、先生へ抱っこを変わってもらうと、その途端に泣き始めたりもする。

夕方奥さんが迎えに行くと、先生曰く今まで機嫌よくしていたのに、自分の母の姿を見た途端、また泣き出したりするそう。寂しかったとアピールしたいのか?また他に日には迎えに行くのが最後になってしまい、夕焼けの保育園の部屋の中で一人でおもちゃで遊んでいたりもしたそう。遅くなってごめんねと言わずにはいられない姿。

夜、会社から帰るとTVでおかあさんといっしょを観たりしている。TVの真ん前に立ち、釘付けだ。最近は音楽に合わせて体を揺らしたりもできるようになった。

奥さんが風呂に入れるとそうでもないが、自分が風呂に入れると大抵泣かれてしまう。女の人の柔らかい体でないと不安を感じる?風呂上りにはおっぱいを所望する。そろそろ乳離れしてほしいと奥さんは言うが、風呂上りの一杯は格別なのか。おっぱいを飲むとそのまま寝てくれる日もあるが、がっちり目が覚める日もある。そんな日は横たわって自分の服をめくり、へそを見せてやる。そうするとへそに手を突っ込み、げらげらと笑う。なぜへそがそんなに面白いのか。

そんな感じの一日を過ごす。

 

 

某日

 

昔の友達とお互いの子どもを連れて会う。こういった時、会話の話題が子どもに終始してしまい、毎回くすぶった気持ちを抱えて別れることになる。無論、子どもは何も悪くない。子どもが小さいと一挙手一動から目を離せないということもあるが、子どものことを話すときに極論的に「可愛い」ということしか話せなくなる自分が悪い。それでも、単純にもっと色んなことを話したいなと思ってしまう。

 

 

某日

 

会社の人との飲み会では、仕事の話、職場の人間関係の話、人事関係の噂話、そうでなければ男性職場特有のホモソーシャルな下世話な話と心の底から楽しいと思えるものではない。普段はそんな飲み会が多く飲みすぎることはあまりないのだが、普通に友達と飲むと楽しくて飲み過ぎてしまう。

そんな飲み会が終わり、電車に駆け込み帰路に着いたと思われたが、気が付くと異なる路線に乗ってしまっていた。次の駅で飛び降り、戻る方面の電車に乗り換えようとしたが、先に乗っていたのと同じ方向の電車に再度乗ってしまう。酩酊している。気が付くと、自販機の明かりしかない田舎の無人駅。帰りの終電は終わっており、野ざらしに。こんなことなら友達と朝まで過ごせばよかったという後悔。

寒すぎて夜を越せる状況ではなかったので、120%のごめんなさいの気持ちで奥さんへ電話し、片道1時間をかけて車で迎えに来てもらった。もちろん寝かしつけた娘を連れて。チャイルドシートで眠る娘の顔を見て、先までの楽しい気持ちが情けなさで全て上書きされた。

ただ、こんな情けないことはもうしたくないという思いの一方、友達に対して「酩酊するまで楽しく酒を飲ませてくれてありがとう、また飲もう」という思いもある。どうしたものか。

 

 

某日

 

奥歯のあたりに違和感を感じ、歯医者へ。曰く、親知らずが生えている箇所の歯磨きが出来ておらず、歯茎に炎症を起こしており、歯磨きしにくくなっているのでいずれ親知らずは抜いたほうがいいとのこと。ただ、上あごの親知らずを抜くとその空洞がほっぺたの裏の空間と貫通する場合があり、そうなると水を飲んだりした時に鼻から出てくるかも、と言われる。ほっぺたの裏の空間?貫通?そんなことある??と怖くなり「考えておきます」と言い帰った。

 

 

某日

 

曜の夜ぐらいは…」というドラマを見た。退屈な毎日、芸人ラジオを聴くのが日々の救い、そしてその退屈な毎日の中における非日常の場としてのラジオイベント、それが終われば再び淡々とした生活が続く…という初回放送。「毎日これをやるしかないんや」というような渋い表情で長い坂道をチャリ立ちこぎしながらバイト先に向かうシーンから始まり、退屈な日々が本当に退屈そう描かれていた。

バイトから帰ってきて、同居する母に今日あったことを話すよう促されて

いや、話したい事なんてないし。

話したくもないし。

どんなにつまんない一日だったか、

どんなに不愉快なことがあったか思い出したくないし。

そういうことを敢て話さない優しさもある訳で。

というようなことを言ってしまう。「おれの生活なんか語るに値せず、どうでもええわ」みたいな気持ち、わかる。

そしてラジオイベントで出会った仲間と写る写真の中の自分を見て、こんな楽しそうな自分久しぶりに見た、と不意を突かれたりもする。生きてたらそういう一瞬ってあるよなという気持ちも、わかる。

イベント終わりに連絡先を交換しようと言われて

やめようそれは。

最初はアレだけど、だんだん来なくなったりするのダメだからわたし。

だって、それは仕方ないし。

それぞれの場所で生きている訳だから。

だから、

楽しかったから、このままで。

といって連絡先は交換せず、笑顔で写る写真も消去してしまう。悲壮的過ぎやしないかと思ったけど、そういう気持ちになることもあるよな。

ラジオパーソナリティエレキコミック(好きではない)だったこと、そのラジオイベントの楽し気な雰囲気に全く乗れなかったこと、エンディング曲とその映像がポップ過ぎたのはなんだかな、という気持ちになった。2話以降も地味で淡々と進んでほしいな、と思いながら楽しみにしている。

 

 

某日

 

たまたま街で小学校時代の同級生と約20年ぶりに出会い、話している内に共通の音楽の趣味があることがわかった。例えば2014年のサマソニで同じ会場でArctic Monkeysを見ていたといった話題を介して一気に親しくなった。小学生の時、クラスの中心的な存在であった同級生とそうでなかった自分は殆ど交わることがなかったので、共通の趣味というのは仲良くなるのに大きいなと改めて感じた。その後ラインで最近聴く音楽をYouTubeやサブスクのリンクを付けて送りあう等したが、この時に10年程前までならCDを貸し借りしていたんだよなあと思った。

中学生の時から大学を卒業する2010年代前半まではそうしてきており、CDの貸し借りをしていた友達やそれを介して仲を深めた女の子のことを思い出してノスタルジーにふける。いまだにその音楽を聴くと、それを貸してくれた人のことを思い出したりする。高校生の頃に数少ない洋楽を聴いていた同級生からはMUSEを勧められたり、大学のサークルにいた同級生からは当時1stを出したばかりのやけのはらのCDを貸してもらったり、付き合っていた子からはWilcoを教えてもらったり…。

例えば大学のサークルの同級生は、タワレコでバイトして社割でCDを買いながら、アマゾンで1円でも安い中古CDを検索して買っているような友達であった。サークルに対して、引いては世の中の様々な事に対して居心地の悪そうな態度をとっていたが、その表情と、貸してもらったCDに入っていたこの曲がいまだに自分の中でどことなくリンクしている。


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だからといって、今出会った人とCDを貸し借りするかと言えばそうではないので、ノスタルジー以上のものではないのだが。こういうノスタルジーによく捕らわれる。

今の10代は共通の趣味を介して仲を深めるのにデータで十分なんだろうか。そもそもCDなど持っておらず、それが前提となっているので多分そうなんだろう。

 

 

某日

 

仕事が忙しかったりすると、ふと半年以上前になるが家族で行った沖縄のことを思い出すことがある。具体的には沖縄の中でも、本島最北端の辺戸岬とその近くの大石林山に行った時のこと。観光地として整備されているものの、行くのに時間がかかるからかがらんとしていた。沖縄の9月の暑さ、辺戸岬に打ち寄せられる白波と水平線の先に見える与論島、大石林山にある見慣れない草木と動物の鳴き声、暇している券売所のおじさん。時間が止まっている最果の場所で家族3人だけが取り残されたような不思議な気持ちになった。ずっとそこにいたいと思った。多分雑多に考えることが多すぎる生活の対局にあるような場所だったので、今でも思い出してしまうのだと思う。いずれまた家族で行きたい。