最近

 

某日

 

ドラマ「お耳に合いましたら。」を見た。チェンメシ(チェーン店グルメ)を愛してやまない美園。それを好きだということを口にすることで、自分の心が死なないように始めたというポッドキャスト。そのポッドキャストを作る過程で出会った仲間がいて、そのポッドキャストを受信する見知らぬ人がいる。純粋な好きだという一人の思いが様々な人へ伝染していく。好きなものを好きだと言うことの大切さみたいなのがドラマの根底にある。

f:id:take-65:20211003111325j:plain

そして最終回では最も多くの時間を一緒に過ごし、親友とも言える同期と後輩が退社や転勤で美園の元を離れる。楽しかった時間を思い出して、そういう季節が終わったのかもしれないと話すのを見て、そういう”季節”って確かにあるよなと思った。

 

 

*

 

 

某日

 

予備校時代の5人グループのラインに、そのうちの1人が結婚式をするということで久しぶりにメッセージが来た。

 

進学校の高校の中でも、高校2~3年は進学クラスにいた。受験を控えたその年になると、そのクラスの中では勉強できることが正だという空気が漂い、スクールカーストの中でもコミュニケーションが上手いこと、スポーツができることと並んで、勉強できることは一目置かれる対象であった。学力を上げたいという思いこそあったが、授業ごとに睡魔にあらがえず寝てばかりであった自分は、進学クラスにはいたものの、その中で学力はいつも底辺であり、コミュニケーションも上手くなく、スポーツが出来るわけでもなかったのでいつも居心地の悪さを感じていた。

そんな時に出会ったのが先の予備校での4人だった。予備校には皆勉強をしに来ていているので基本的にスクールカースト等はなかったのだが、やっぱりなんとなく同じ学校の仲間で固まっている人が多かった。自分は学校から離れていたということもあって同じ学校の人が予備校にはおらず、一人で授業を受けていたが、似たような境遇だった4人と授業がかぶると話すことが多くなった。よくしゃべる調子もののA君、何時も周囲の目線を気にしない自由人のB君、サバサバしていて男まさりのCさん、おせっかい焼きで肝っ玉母ちゃん風のDさん。いつしかその4人と集まるのが予備校に行くモチベーションにもなっており、自習室にも入らず半日以上休憩室で話し込んでいて、「予備校は勉強するところで、おしゃべりしに来るところではない」などと館内放送で怒られたこともあった。そして無事5人とも大学に合格し、別々の大学に通うことになってからも時々集まって旅行に行くなどしていたが、もともと性格が違った5人だったので、それぞれが違う環境に進むと、共通した現行の話題は少なくなり、予備校の時思い出話をすることが多くなった。そしていつしか不定期に5人で集まることはなくなり、今に至っている。

 

そんな中での「結婚式をするから来てほしい」というラインである。高校に居場所がなかった17歳の自分にとっては、予備校に4人がいてくれたことは本当に救いであって、間違いなく楽しい時間だった。だが、そんな"季節"は終わった。今回の結婚式には皆出席するだろうが、恐らく今後も誰かの結婚式等以外では5人で集まることはないんだろうと思うと、呆然と寂しくなる。

自分の結婚式には今でも仲がいいと言えるA君しか呼ばなかったのだが。

 

 

 

*

 

 

某日

 

秋晴れで気持ちのいい日だったので、友達を誘ってキャッチボール。キャッチボールは頭もお金も使わなくて楽しめるので最高。そして銭湯に入って解散。大人になっても結局これくらいの遊びが一番楽しい。

 

f:id:take-65:20211010114104j:plain

素晴らしい秋晴れの日

 

 

*

 

 

某日

 

映画「Oasis; Knebworth 1996」を見た。2ndアルバムを出した翌年に行われたネブワースでのライブを巡って、ファン目線で語られるライブドキュメンタリー映画


www.youtube.com

そのライブは2日間で25万人をも動員して、前座としてThe Prodigy、The CharlatansThe Chemical Brothers、Manics Street Preachers等も出演しており、お祭りのような雰囲気感。ライブ当日に彼女の妊娠を知り、父親になる興奮とライブの興奮が同時に押し寄せてきたと話す男性。兄と見に行ってライブに感動して兄妹で抱き合ったが、後日その兄が病死してしまい、2人で見た最後のライブだったと話す女性。チケットを取れなかったが、BBCラジオで生放送されていたものをカセットテープに録音しながら、友達とベッドルームで聞いていたと話す男性。もれなく皆興奮していた。ネットや携帯がない時代の大らかなムード、ポジティブなヴァイブス。全盛期のオアシスはそれを完全に味方にできていたんだと思う。今ではあり得ない時代全体が盛り上がっている空気感にノスタルジーを感じる。

 

個人的にオアシスの曲は一曲通して歌詞を読んでも繋がりがわからなかったりしてたのだが、Wonderwallに対して「こんなにも歴史的な名曲なのにも関わらず、歌詞は意味不明で、誰も本当の意味はわかっていない」という様なことをファンの人が言っていて、ああネイティブでもそうなんだなと思った。そんな中、Champagne Supernovaに対して、とあるファンが「この曲の歌詞をタトゥーに彫った。この曲は俺にとっての宗教だ」というようなことを言っていた。歌詞全体では意味分からない部分もあるけど(”slowly walking down the hall, faster than a cannonball”ってなんだ)、この曲のこの一節はとても好きです。

 

Someday you will find me
Caught beneath the landslide
In a champagne supernova in the sky

 

‘Cause people believe
That they’re gonna get away for the summer
But you and I, we live and die
The world’s still spinning ‘round, we don’t know why
Why? Why? Why? Why?

 

いつか君は

土砂に埋もれた僕を見つけるだろう

シャンペインスーパーノヴァの空の下で

 

みんな、

夏の間にどこか遠くへ出かけるんだ

って計画を立てているけど、

君も僕も

そしてみんな

結局は生きて、死んでいくんだ

 

世界はそれでも回り続ける

僕たちの知らないところで

知らないところで

 

 

 

*

 

 

某日

 

恐らく、順調にいくと、来年の春に子どもが生まれる。子どもが生まれると生活はどう変わるのだろう。子ども中心の生活になるので、恐らくすべてが変わる。週末の楽しみである喫茶店での読書やサウナに行くこと、友達とキャッチボールすることもままならなくなるのだろう。奥さんと2人でゆっくり食事をすることも難しくなるのだろう。こんなことを言うと人でなしのように思われるだろうが、一人の時間、二人の時間がなくなってしまうのだとと考えると切ない気持ちになる。子どもはいつか欲しいと思っていたので、実際に子どもを目にすると、そんな気持ちも吹っ飛ぶくらいの喜びに包まれるのだろうか。産まれてきたあかつきには子どもとがっぷり四つで向かい合う所存だが、今は今の生活を満喫したい。一人でしかできないこと、二人でしかできないことをしていこうと思い、とりあえず子どもがいないからこそ泊まれる贅沢なホテルの予約を取ったりした。

 


www.youtube.com

産まれてくる子供に向けて(その時には目一杯愛するよ)