最近

 

某日

 

ドラマ「お耳に合いましたら。」を見た。チェンメシ(チェーン店グルメ)を愛してやまない美園。それを好きだということを口にすることで、自分の心が死なないように始めたというポッドキャスト。そのポッドキャストを作る過程で出会った仲間がいて、そのポッドキャストを受信する見知らぬ人がいる。純粋な好きだという一人の思いが様々な人へ伝染していく。好きなものを好きだと言うことの大切さみたいなのがドラマの根底にある。

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そして最終回では最も多くの時間を一緒に過ごし、親友とも言える同期と後輩が退社や転勤で美園の元を離れる。楽しかった時間を思い出して、そういう季節が終わったのかもしれないと話すのを見て、そういう”季節”って確かにあるよなと思った。

 

 

*

 

 

某日

 

予備校時代の5人グループのラインに、そのうちの1人が結婚式をするということで久しぶりにメッセージが来た。

 

進学校の高校の中でも、高校2~3年は進学クラスにいた。受験を控えたその年になると、そのクラスの中では勉強できることが正だという空気が漂い、スクールカーストの中でもコミュニケーションが上手いこと、スポーツができることと並んで、勉強できることは一目置かれる対象であった。学力を上げたいという思いこそあったが、授業ごとに睡魔にあらがえず寝てばかりであった自分は、進学クラスにはいたものの、その中で学力はいつも底辺であり、コミュニケーションも上手くなく、スポーツが出来るわけでもなかったのでいつも居心地の悪さを感じていた。

そんな時に出会ったのが先の予備校での4人だった。予備校には皆勉強をしに来ていているので基本的にスクールカースト等はなかったのだが、やっぱりなんとなく同じ学校の仲間で固まっている人が多かった。自分は学校から離れていたということもあって同じ学校の人が予備校にはおらず、一人で授業を受けていたが、似たような境遇だった4人と授業がかぶると話すことが多くなった。よくしゃべる調子もののA君、何時も周囲の目線を気にしない自由人のB君、サバサバしていて男まさりのCさん、おせっかい焼きで肝っ玉母ちゃん風のDさん。いつしかその4人と集まるのが予備校に行くモチベーションにもなっており、自習室にも入らず半日以上休憩室で話し込んでいて、「予備校は勉強するところで、おしゃべりしに来るところではない」などと館内放送で怒られたこともあった。そして無事5人とも大学に合格し、別々の大学に通うことになってからも時々集まって旅行に行くなどしていたが、もともと性格が違った5人だったので、それぞれが違う環境に進むと、共通した現行の話題は少なくなり、予備校の時思い出話をすることが多くなった。そしていつしか不定期に5人で集まることはなくなり、今に至っている。

 

そんな中での「結婚式をするから来てほしい」というラインである。高校に居場所がなかった17歳の自分にとっては、予備校に4人がいてくれたことは本当に救いであって、間違いなく楽しい時間だった。だが、そんな"季節"は終わった。今回の結婚式には皆出席するだろうが、恐らく今後も誰かの結婚式等以外では5人で集まることはないんだろうと思うと、呆然と寂しくなる。

自分の結婚式には今でも仲がいいと言えるA君しか呼ばなかったのだが。

 

 

 

*

 

 

某日

 

秋晴れで気持ちのいい日だったので、友達を誘ってキャッチボール。キャッチボールは頭もお金も使わなくて楽しめるので最高。そして銭湯に入って解散。大人になっても結局これくらいの遊びが一番楽しい。

 

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素晴らしい秋晴れの日

 

 

*

 

 

某日

 

映画「Oasis; Knebworth 1996」を見た。2ndアルバムを出した翌年に行われたネブワースでのライブを巡って、ファン目線で語られるライブドキュメンタリー映画


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そのライブは2日間で25万人をも動員して、前座としてThe Prodigy、The CharlatansThe Chemical Brothers、Manics Street Preachers等も出演しており、お祭りのような雰囲気感。ライブ当日に彼女の妊娠を知り、父親になる興奮とライブの興奮が同時に押し寄せてきたと話す男性。兄と見に行ってライブに感動して兄妹で抱き合ったが、後日その兄が病死してしまい、2人で見た最後のライブだったと話す女性。チケットを取れなかったが、BBCラジオで生放送されていたものをカセットテープに録音しながら、友達とベッドルームで聞いていたと話す男性。もれなく皆興奮していた。ネットや携帯がない時代の大らかなムード、ポジティブなヴァイブス。全盛期のオアシスはそれを完全に味方にできていたんだと思う。今ではあり得ない時代全体が盛り上がっている空気感にノスタルジーを感じる。

 

個人的にオアシスの曲は一曲通して歌詞を読んでも繋がりがわからなかったりしてたのだが、Wonderwallに対して「こんなにも歴史的な名曲なのにも関わらず、歌詞は意味不明で、誰も本当の意味はわかっていない」という様なことをファンの人が言っていて、ああネイティブでもそうなんだなと思った。そんな中、Champagne Supernovaに対して、とあるファンが「この曲の歌詞をタトゥーに彫った。この曲は俺にとっての宗教だ」というようなことを言っていた。歌詞全体では意味分からない部分もあるけど(”slowly walking down the hall, faster than a cannonball”ってなんだ)、この曲のこの一節はとても好きです。

 

Someday you will find me
Caught beneath the landslide
In a champagne supernova in the sky

 

‘Cause people believe
That they’re gonna get away for the summer
But you and I, we live and die
The world’s still spinning ‘round, we don’t know why
Why? Why? Why? Why?

 

いつか君は

土砂に埋もれた僕を見つけるだろう

シャンペインスーパーノヴァの空の下で

 

みんな、

夏の間にどこか遠くへ出かけるんだ

って計画を立てているけど、

君も僕も

そしてみんな

結局は生きて、死んでいくんだ

 

世界はそれでも回り続ける

僕たちの知らないところで

知らないところで

 

 

 

*

 

 

某日

 

恐らく、順調にいくと、来年の春に子どもが生まれる。子どもが生まれると生活はどう変わるのだろう。子ども中心の生活になるので、恐らくすべてが変わる。週末の楽しみである喫茶店での読書やサウナに行くこと、友達とキャッチボールすることもままならなくなるのだろう。奥さんと2人でゆっくり食事をすることも難しくなるのだろう。こんなことを言うと人でなしのように思われるだろうが、一人の時間、二人の時間がなくなってしまうのだとと考えると切ない気持ちになる。子どもはいつか欲しいと思っていたので、実際に子どもを目にすると、そんな気持ちも吹っ飛ぶくらいの喜びに包まれるのだろうか。産まれてきたあかつきには子どもとがっぷり四つで向かい合う所存だが、今は今の生活を満喫したい。一人でしかできないこと、二人でしかできないことをしていこうと思い、とりあえず子どもがいないからこそ泊まれる贅沢なホテルの予約を取ったりした。

 


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産まれてくる子供に向けて(その時には目一杯愛するよ)

 

 

 

SPORT "Sydney, 2000"

 

sport.bandcamp.com

 

Sometimes, I try to remember
All the stories when I was younger
I just want to make sure
That friends or people that I hated
Friends thinking I have changed
Will remain inside me

 

The past, the future
Collapse in that very moment : now.
As soon as said, it’s gone.
The memories of the good times,
As well as schemes of even better ones,
Help me live in it.

 

I’m filled with several shapes and colors
Moving through the waters
Not quite sure what I want
The rainbow on a grey sky
Only appears from rain and sun.

 

Today, I’m fine, and I mean it,
Since I have always been
Shaken up and down.
The mysteries of our feelings
Remain unsolved, we sail by day and night
But for now, no wave in sight.

 

 

 

*

 

 

若かったときの色んなストーリーを

自分が鮮明に覚えているか

時々確かめたりする。

嫌いだった人たち、

変わってしまったと感じた友達、

彼らも

間違いなく俺の中には居続けている。

 

でも、そんな過去や未来も

全部ひっくるめて”今”がある。

日々はあっという間に流れていくけど、

良かった日々の思い出や

さらに明日が良くなるための密かな計画に

今日の俺は生かされている。

 

もがきながら生きてきて

それなりに色んな経験をして

色んなものを得てきたけど

本当は何が欲しかったんだろう。

雨の後の晴れ間にしか

虹は現れないけど、

人生もきっとそうだ。

 

俺はいつも

上がったり下がったりして、

もやもやした感情を抱えたままだけど、

今日もなんとか元気にやっている。

絶えず航海は続いていくけど、

今、目の前の海は

静かに遠くまで広がっている。

 

 

*

 

 

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2017.07.26 心斎橋HOKAGEにて



 

最近

 

 毎回同じようなことを角度を変えて書いているだけのような気がするが、それでも書きます。

 

 

*

 

 

某日

 

映画「パターソン」を見た。バス運転手が詩をしたためながら、穏やかに愛犬と奥さんと過ごす一週間を切り取った映画で、派手なことは殆ど起きない。例えば犬の散歩をしている最中に町の不良から高級な犬を盗む”ワンジャック”に遭うなよとからかわれるシーンの後に、犬を店先に放置したままバーで酒を飲んでいたが、結局"ワンジャック"はないまま映画は終わっていく、そんな平凡さ。でも、毎日寄るそのバーの店主や客友達と交わされる些細な会話からは、主人公パターソンの一日が平凡だけど退屈でないということが感じられたし、誰に見せるでもない詩を書き続けることは、怠惰に毎日を過ごさないためのある種の祈りのように感じた。居場所を持つことの豊かさと、打ち込める対象があることの喜び。ありきたりなことですが。

 

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"ワンジャック"に遭いそうで遭わない愛犬マーヴィン

 

*

 

 

某日

 

大学時代の友達と会う。会社にいる自分で責任を持とうとせず、常に一歩下がった発言ばかりするような奴にムカついていることや、平日は会社から帰っても何もする気が起こらずだらだらと過ごし、土曜日だけは少しアクティブに外出もするが、日曜日には次の一週間に備えて休息だけをして終わっていて、時間だけが過ぎて行っているような気がするというような話を聞き、ほとんど自分と同じようなことを考えていてびっくりした。どこでもアラサーの社会人はそんなことを考えながら仕事して生活しているんでしょうか。再度「パターソン」の生活を思い返して自身の生活と照らし合わせる。

 

 

*

 

 

某日

 

地元の友達を家に呼んで飲みながら、YouTubeで交互に音楽を流して遊ぶ。「スーパーカーはオアシス説」「ホワイトストライプスのメグホワイトの愛らしさについて」「MUSEの歌いまわし方は演歌に通ずる」「メタリカを聞いて拳を突き上げなければそいつは男ではない」等々適当なことをしゃべり、何も考えなくてよく楽しかった。

 


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*

 

 

某日

 

滅多にないことだが休日の朝に上司から電話がかかってきて、急遽の事態に対応すべく、休日出勤をする。めんどくさいなと思ったが、自分の中で思ってたよりも抵抗感なく職場に向かっていたことに気が付いた。休日出勤しないといけなくなったことよりも無意識のうちに会社に飼い慣らされていたことを自分自身で再確認して、へこんだ。

ただ、帰宅したら「あちこちオードリー」のオンラインライブが、ゲストにハライチを呼んであることを知り、少しテンションが上がる。ハライチがゲストだった通常回がすごく面白かった。ネタを一切書かないのに、その感謝を口に出すことなくにいつもデカい顔をしている春日と澤部にブチ切れる若林と岩井。それに対してへらへらする春日と逆切れする澤部…オンラインライブも楽しみです。

 

 

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某日

 

映画「サマーフィルムにのって」を見た。ヤンキー、オタク、お調子者、キラキラ女子といったクラスの中の色んな人種の高校生が出てくるけど、そこに陰険なヒエラルキー的なものはなくて、お互いがお互いを認め合っているような関係性がとても爽やかだった。

 

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劇中、よく不機嫌な顔をする主人公ハダシが良かった

 

 

*

 

 

某日

 

東京に遊びに行った。東京は年に一回行くか行かないかだが、田舎者なので行くと毎回刺激があって楽しい。街には若者が多く、その中で派手で目立つ格好をしている人も多かった。例えば首筋に小さなタトゥーを入れていたり、露出が極端にある服を着たり。人が多い分、その中で埋もれたくないという精神性が根底にあって、それを突き詰めた結果、そういう格好になるのかなと若者の姿を見て勝手に思った。飛躍してる気もするけど、SNSでの過激な発言とか思想が生まれるのは、そういう”人と違う自分でありたい”みたいなのからくるのだろうか、とかも思った。ただ、それは単純にネガティブな捉え方だけではなく、街を歩いているだけで「カマしたるで」の精神を失ってはいけないという気持ちになった。

夜は東京で働いている大学時代の友達と飲みに行き、昼間に考えていたそんなことを話したら、時々東京に来る分にはいいかもしれないけど、毎日東京で生活をしているとそのエネルギーに辟易して疲れるというようなことを言っていた。まあ確かに。

友達とは学生の頃と変わらないテンションで話せたし、一緒に来てくれたその奥さんも下らない話を笑って聞いてくれる気立てのいい方だった。旅先でそんな二人と飲めたので、とても楽しく開放的な気分になれた。ありがとうございました。

 

 

 

 

某日

 

短編アンソロジー夏休み」を古本屋で買った。タイトルと背表紙のあらすじだけを読んで買ったが、読み始めてから全く同じ本を以前も読んでいたことに気が付いた。自分の趣向の変わらなさに驚いたが、せっかく買ったので再読した。

その中でも片岡義男という方の「おなじ軽度の下で」という短編はとても良かった。母親の実家に帰って過ごす夏休みの8月、食事の後の片づけをすることだけが毎日の仕事で、その他はバスに乗って映画館に行ったり、プールに行ったりして無作為に過ごす。子ども頃のひたすらに長い夏休みを思い出して、胸がぐっとなる。

 

前日とそっくりおなじ感覚の、夏の日だった。

日付が一日変わっただけで、あとはすべて同一であるように思えた。

陽ざしの強さも明るさも、そしてそれが哲也の気持ちのなかに引き起こす反応も、完全に前日のくりかえしだった。

真夏に一度か二度ある、時間が停止したような日なのだと、彼は思った。

 

他にも「あげは蝶(江國香織)」「クロール(佐伯一麦)」、「八月(三木卓)」、「麦わら帽子(堀辰雄)」等々がお気に入りです。

 

 

 

 

 

某日

 

Everyone Everywhereという好きだったバンドのレコードが再販されることをネットで知り、購入。欲しかったレコードを買えた時の喜びは唯一無二だ。このバンドの哀愁と青臭さを疾走感で混ぜ合わせたかんじがとても好きです。

 


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it's boring everything is shapeless

while we're running, running down

 

 

 

 

最近

 

オリンピック。男子走り高跳びで全く同じ成績を出した2人の選手が、引き続き競技続けて1位2位を決めるかと審判に問われたことに「金メダルを2つ用意できるか」と返し、2人でタイトルを分け合った瞬間。飛び跳ねて喜び、お互いを称えて抱き合うその清々しいスポーツマンシップ。肌の色が違うその2人の選手が同じように喜ぶ姿を見て、高跳びのことも、その選手のことも知らないのにぐっときてしまった。

 

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バルシム選手(カタール)とタンベリ選手(イタリア)

  

 

*

 

 

映画「街の上で」を見た。本を読んで時間を潰しながら古着屋で働き、よく行く古本屋や飲み屋があって、たまにライブハウスに顔を出すという、よくいる文化系男子の主人公。自分の趣味を煮詰めたようなこのモラトリアムな生活は、身近なようで社会人となった今見るとはるか遠く、かけがえのないものに思えた。

そんな中でも主人公の青と、飲み会で居合わせたイハが出会い、そのままイハの家で過ごすシーンが良かった。お互いのこれまでの恋愛事情を晒け出しあって、男女の駆け引きはありそうでなく、昔から友達だったことを確かめるかのように語り合う夜。こんな夜を一生に一度でも過ごせたら、自分にとって宝物になるだろうなと思った。

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青とイハ

  

 

 

*

 

 

走り高跳びの戦友同士の友情を見た時も、映画で出会っていなかった友達と出会ったのを見た時も、炭酸の泡に包まれているような瑞々しい気持ちになった。自分にも世界のどこかに、まだ見ぬ未来の友達がいるんじゃないだろうかと思ってしまう。実際は大人になるにつれてそんな出会いは殆どなくなってくることは頭の中ではわかっていても。こういった視野が一気開けて世界が軽やかに見える瞬間が生活しているとたまにある。どんよりした日常の裏側にこんなきらめく世界があるってことは忘れたくないし、それを思い出させる"スイッチ"は生活の中に確かにある。

 

 

*

 

 


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Algernon Cadwalladerの2010年のライブ。このバンドは投げやりに叫ぶ歌い方とか陽気なギターのタッピングに、夏っぽさを感じるけど、その音楽が具現化されたようなライブ映像。湖畔での野外ライブ、最高。上裸で熱唱しながらもみくちゃになってる客席は絶対に暑苦しいけど、見ててみんなこのバンドが好きなんだろうなという気持ちになる。やっぱりAlgernon Cadwalladerが好きという一点だけで、ここにいた人とは場所と時を超えて仲良くなれると思ってしまう。

 

 

最近

 

【ドラマ】

「コントが始まる」日テレ

芸人として売れてなくて、家族のことや仕事のことで問題を抱えてても輝いて見えるのは、笑い飛ばせる仲間がいて、お笑いという打ち込めるものがあるから。例えば2話の最後、美濃輪潤平の体育倉庫内での失恋話をマクベスの3人と中浜姉妹が居酒屋で笑ってるシーンなんかは、青春モノの一言で片付けるには勿体ないくらい良かった。

 

・「大豆田とわ子と三人の元夫」カンテレ

登場人物みんな好きだけど、その中でも中村慎森のブルースには釘付けになってしまう。喋れば屁理屈、捻くれ、憎まれ口が出てくる一方で、カブトムシにベティと名付け、パンダの画像を密かに愛でるチャーミングさ…。そしてエンディング曲が毎週豪華で楽しみです。

 

・「マスターオブゼロ」ネットフリックス

シーズン3が始まるので、シーズン1から見返している。

その中でシーズン1-6で話での会話が頭に残っている。ハワイに旅行に行ってそのまま住み着いて、スキューバの店をやって過ごしている友達の話を出した後に、

私も冒険したい。

仕事を辞め、髪を染め、東京に移る。

でも、子供を抱きながら"やり忘れてた"がオチね。

僕らの年齢から"扉"が閉まり出す。

ゆっくりでなく気付いたら閉まっている。

 

もう自分もそんな人生を送り始めている。

 

 

【ラジオ】

・「FLAG RADIO(never young beach)」アルファステーション

選曲がよくて、毎週知らないバンドを知れる。最近は空間現代というバンドを知れてよかった。

Singou

Singou

空間現代を調べる中で、メンバーの方がとある推薦文で「行ったことのない街や、登ったことのない山の景色を、会ったことのない友達から届く写真で知る」ような音楽と評しており、いい言葉だなと思って、そこで評されていた音楽もレコードで購入した。

https://www.google.co.jp/amp/s/fnmnl.tv/2018/10/09/60410/amp

 

・「アルコアンドピースDCガレージ」TBSラジオ

ブレインスリープというコーナーが終わってしまって残念。ボイパのコーナーも終わったのか続いてるのかわからないぐらいやってないけど、ちゃんとやってほしい。

 

・「knee criris radio」ポッドキャスト

通称ニクラジ。ラッパー徳利のほのかに香るクレイジーさとその同級生D山の確かな話術で永遠に聴けちゃいます。家を買うと意気込んだ次の回でローン審査に落ちたという話をする圧倒的なリアルさ。

 

http://kneecrisisradio.seesaa.net

 

 

【本】

 

・「僕らはまだ美しい夢を見ている」石井恵梨子

奈良のバンドLOSTAGEの20年を綴ったもの。音源は一般のレコード屋で売らず、ライブの物販とバンドの通販、奈良に自身で構えるレコード屋でしか売らないという今のストロングスタイルに至るまでの過程と、そうする意味を知れた。そして、それで勝負できる音楽の格好良さを再確認した。

 

・「中二階」ニコルソンベイカ

靴紐が切れただけのことを一章使って書くような小説。左右の靴紐が僅か二日と経たずに続いて切れたのは偶然なのか、歩行するたびに靴紐と紐を通す穴の間に生じる摩擦はどれほど影響しているのか、それにしても上から2番目や3番目の穴ではなく、1番上の穴のところで暇が切れるのは何故なのか…そんなミクロ的思考の軌跡が執拗に書かれている。こんな下らないことを他人も考えるのだなというのは、あまり知ることが出来ない。

 

・「初恋と不倫」坂元裕二

誰かに起こった不幸は、誰にでも起こり得る不幸で、それはもしかしたら自分に起こっていた不幸なのかもしれない。

 

 

 

 

今年のGWは上記の通り娯楽を享受していた。あとは接骨院、喫茶店、銭湯に行ったり。近所にこの3つがあることには本当に感謝したい。

色々と満喫したが、やっぱりコロナ禍の空気感には何かを制限されているようで重苦しい。実際、行く予定だったライブも延期された。

そんな中で、休みを過ごすのに家でゴロゴロしてると、強いられた暇を潰すために本を読んだり、ドラマを見たりしているのか?と自問する瞬間もあり、参ってしまった。好きでドラマを見たいのであって、暇を潰すためにドラマを見るのではないはずなのに…。そんな時に見た「コントが始まる」のマクベスの3人ががむしゃらに生きてる姿は一層輝いて見えたし、「マスターオブゼロ」のデフとレイチェルの会話は心にずっしりと響いた。

仕事が忙しいと暇を望むが、実際暇になると暇に気持ちが飲み込まれるようでは…人生は壮大な暇つぶしなのか?という気持ちにもなり、少し落ち込んだ。暇を、休みを謳歌出来るためには、好きなライブにも行きたいし、たまには遠くに旅行も行きたいし、友達とも飲みに行きたい。早く今の状況が収束することを望む。

 

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2021.5.3

海辺の公園では何事もないかの様に穏やかな時間が過ぎていた。

 

 

最近

 

コロナ渦における生活

 

 

・家にいる時間が長いので、ブログでも書こう。

 

・緊急事態宣言が発令されて、コロナウイルスに関するニュースはどれも重たい。よかったのは動物園のジャイアントパンダが来園者の視線から解放された結果自然交配に成功した、というニュースくらい。街中から人通りが少なくなったというニュースも見るけど、近所の公園ではヨガマットを広げたり、テントを張っている人がいたりと普段より人が多くなっている所もある。電車に乗って遠出するのはNGだが近所を歩いて出回るのはセーフ、野外でBBQするのはNGだが公園で遊ぶのはセーフみたいな感覚の人が(自分も含めて)一定数いるような気がするけど、どうなんだろうか。それに対して他県ナンバー狩りやライブハウスのシャッターに辛辣な言葉の張り紙をする自粛過激派の人もいるらしい。正解はわからないが、自分の正義を過激なやり方で(間違っていないと疑わず)振りかざしているのは違うと思うし、怖い。JUSTICE against JUSTICEという曲をやけのはらは歌っていた。


JUSTICE against JUSTICE

SNSを見ると政治家専門家有名人業界関係者一般人・・・様々な立場の人がそれぞれの正義を掲げている。賛同できる意見、到底理解できない意見、色々とあるけどタイムラインに流れている意見に逐一目を通していると大変疲れる。色んな人の声に耳を傾け、偏ってしまいがちな自分一人の考え方に多様な視座を取り入れるってことがどれだけ大切なのかはわからない。結局は自分の生活に関係する範囲のことしか本気で考えられないけど、言い換えると自分の手が届く範囲の中でこのウイルスに向き合って生活するしかないんだろう。

 

・仕事は隔日で出勤と在宅勤務を繰り返している。ずっとこの体制でいいんじゃないかと感じる。今の働き方がちょうどストレス少なく働けて心地いい。ときに出勤も退勤もない在宅勤務は、卒業論文を書いていた大学の時を思い出す。軌道に乗った時は永遠と作業を続けて、そうじゃない時は部屋の掃除をしたりインターネットを眺めたりして無為に時間を過ごしたり…。卒業論文の時との違いは、教授陣からの鬼の尋問が待っている週に1回のゼミを受けないで済むこと。自分の怠慢や甘さを否応なしに詰問され、突き付けられていたのであった。しかし、もうそんなゼミはなく、しかも給料ももらえるのだから仕事はまだ容易い。

 

・コロナは特に関係なく、YouTubeジャルジャルのコント動画にはまっている。一日一本動画を挙げているので、尽きることなく見続けることができる。毎日毎日違う設定でネタを挙げてるけど、見事に全部ジャルジャルの世界観になってしまっている。そのことが揶揄されることも多いけど、もうそれが癖になってしまっている。YouTubeからおすすめされ続けて、見だしたら止め時がわからなくなってしまう。


1億回記念!本気ネタ!『南っていう奴』【JARUJARUTOWER】

南くん、関東人な奴、チャラ男番長、定期的って聞く奴といったキャラが好きです。

 

・2013年の曲だが最近見て知った。ラッパーの徳利が小学生から20代の出来事を切り取ったツイートをリリックにしている。どれもダサくて微笑ましく甘酸っぱくて泣きそうになる。


徳利からの手紙-THE MOVIE-

 

テラスハウス2019-2020の第25話の男子メンバー2人の卒業が美しすぎて心震えた。

 

・基本的にインドアで家の中で過ごすのは苦痛に感じない自分だと思っていたが、さすがに何日も家の中にいると心身が腐っていきそうになってくる。なので、最近は週に2回までなら近所の銭湯まで行くのを自分ルールでOKとし、そこに自転車飛ばして行くのが無上の楽しみとなっている。サウナは営業自粛していて入れないが、おかげで温冷交互浴の喜びを知った。サウナに入らずとも水風呂に入れました。あとは家にいても、晴れの日にはベランダに椅子を出して日光浴しながら読書するなどしている。この季節の晴れ間は気温もちょうど良くてとても気持ちが良い。東向きのベランダなので午前中読書することが多く、毎日ベランダにいると日が当たる時間が日に日に伸びてきてることにも気付いた。

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フジロックのチケットを買ったが、今年は果たして開催されるのだろうか。今の様子だと開催されなさそうな気もする。去年はじめて行き、その日常から離れた空間に心酔し、終わった時から来年も行くことを待望していた。普通に仕事してしんどいなあと思って生活してる時も、チケットを買ってからは8月にフジロックに行くことが常に心のなかでどこかにはあって、潜在的な支えであった。8月は一体どんな世界になっているのだろうか。一方で今日も夏になったら着たいと思って頼んだTシャツが宅配で届く。外出自粛していても通販で散財するので、お金は減っていく。お金を使い、物を買い、宅配の段ボールにカッターを入れる瞬間にとても生きている喜びを感じる。そして一枚で身軽に着れて、仕事着と対極にあるTシャツは自由の象徴でもある。まだ見ぬコロナウイルスが収束した夏を夢想して、自宅に籠ってポチポチとTシャツを買い込む2020年の春である。

 

 

 

 

最近

 

 

某日

 

高校の友達と大学の友達と飲みに行く。2人は初対面だったが、いつもと同じ顔で飲むのも飽きたという理由で自分が引き合わせた。自分勝手にセッティングした会だったけど、結果的にはみな楽しく飲んでたと思う。交わることのなかった友達と友達が打ち解けていく様子は、得も言えない気持ちになる。自分としても普段しない角度で二人とも話できて良かった。かと言って次同じ顔ぶれでもう一度会うかと言われるとそれはそれ、という距離感。付き合ってくれてありがとうございます。

 

 

某日

 

LOSTAGEtoeの対バンを見に行く。LOSTAGEも良かったけど、toeのライブはいつ見ても胸を突かれる思いになる。toeのライブをみると言葉にならない感情を共有しているような感覚になる。


toe - Because I Hear You @ 頂 -ITADAKI- 2017

一番好きなこの曲も聞けた。ライブでは音源よりエモさ倍増のアレンジ。

 

 

某日

 

友達6人でスノーボードをしに北海道旅行。「ボードしに行く」という共通した目的がないと、この年になって友達6人で北海道なんかなかなか行けない。普段見ることのない雪国の情景、夜の街のネオンと歓楽、旨い酒と料理に陶酔する。食べたものすべておいしかったが、特に一幻というラーメン屋と開陽亭という海鮮居酒屋は最高だった。楽しくて飲みすぎてしまう。旅行中会期だった雪まつり会場でロシア人による屋台がいくつか見られて北海道の土地柄を感じたりもした。マトリョーシカやロシア帽と並んで置いてあるプロパガンダ的なプーチン大統領(大きな熊を携えている)のマグネットを購入。冷蔵庫に貼ってある。

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ネオンと歓楽の街

一緒に行った友達とは別行動してレコード屋回りをしたりした。札幌まで来て一人レコード探すのにどれほどの意味があるのだろうか、一体何をしているんだ…という思いを捨てきれずにいたが、結果欲しかったものをゲット出来てテンションぶち上がる。他にも水曜どうでしょうのグッズも一人で買いに行ったが、嬉しくて散財した。


Inner Life - Moment of My Life (1982)

欲しかったやつ①

 


Allman Brothers Band - Ramblin' Man

欲しかったやつ②

 

 

某日

 

北海道に一緒に行った友達と飲みに行く。北海道の時はすごく楽しかったが、その日は消化不良に終わってしまった。前こんなだったけ…?という空気が悲しかった。

 

 

某日

 

Cloud Nothingsの来日公演を見に行く。途中ズレとるがなと思うようなこともあったけど、それさえもかっこよく見えた。演奏の勢いがすごい。生で見てよかったなというライブだった。帰りに一緒に見に行った後輩と飲む。自分より先に友達が熱狂的にハマっているものがあると、後追いの身としてはそれの良さを熱弁されればされる程引いてしってハマりにくいんだよな、という話をした。音楽でもなんでも。興味ない人に熱量持って語りすぎるのは多分よくない。


Cloud Nothings Perform “Wasted Days” | Goose Island IPA Day

 

 

某日

 

オードリーのオールナイトニッポンの武道館イベントのライブビューイングを見に行く。毎週の放送も絶対に面白いし、武道館イベントも勿論最高だった。よく放送ではこんなラジオ誰も聞いてないという旨のことを話しているが、見に行った地元の映画館は満席。地元にこんなにリトルトゥース(リスナーのこと)がいるのか、と感激した。身近にリトルトゥース仲間が欲しい。そしてオタクのノリで毎週の放送の話をしたりしたい。しかし、前述の通り興味のない人に好きな気持ちを全開で話してしまうのは危険である。ましてやラジオなんて、聞く習慣ない人はないし、2時間の放送は気軽に聞けるものでもない。好きの気持ちのやり場がないので、これからの季節はイベントのグッズで購入したリトルトゥースTシャツを着て、さりげなくアピールしていくこととする。

 

 

某日

 

お金がない。お金がないと割り勘の勘定などがシビアになり、精神的な余裕がなくなっていると感じる。精神的な余裕がないやつは何をやってもダメ。

 

 

 

某日

 

ミワさんという方の「やがてぬるい季節は」というZINEを購入。ミワさんが「記録」というブログで2015年から2018年までに書いたものを纏めたもののよう。

miwa0524.hatenablog.com

なんていうことのない日々が丁寧な文章で書かれていて、読んでいて心地よい。毎日大学や教習所に行っていること、バイト先に変わった客が来たこと、バラエティ番組が面白かったこと、ある日祖母が亡くなってしまったこと、シャムキャッツというバンドが好きなこと…普通のとある男の子の日記というかんじなのだが、知る由もない他人が毎日何を見て何を感じているのかを知れるのは刺激的だ。というか自分の身近にいる人であっても、その人がどんな生活を送っているのか詳細に知ることはないと思う。それを知れると自分の生活も振り返ったりできて刺激になるな、と。このZINEの中にオードリーのオールナイトニッポンを聞いていると書いているのを見つけて、遠く離れたところに分かり合える友達がいるんだなというような気持になった。

このZINEは残り僅かみたいだけど、ブログはいつでも読めるので気になった人は是非読んでみてほしい。SNSは良くも悪くもすべてを陳腐化する。ブログはそういうのとは違うツールだと思う。